この生徒は茶髪を除けば何も悪いところがない。
勉強もちゃんとするし、当番もまじめに行う、部活でも活躍しているし友達も多い。
両親も頭髪以外のことは全て協力してくれる。
でも校則に違反しているので注意しなければならない。
無理やり染めることはできないので話をして説得する。
本人が了解し、家庭の了解も取れると主事室に連れて行き黒染めのヘアカラーで髪を黒く染める。
あらかじめ学校にはヘアカラーが用意してあるのだ。
この時、僕はいつも自問自答しながら指導をしていた。
(決まりだから守らせなくちゃだめだ)
(一人の違反を見逃せば他の子供たちも崩れていく)
大義名分を掲げながら生徒の髪を黒く染めた。
その反面いつも心の中で矛盾を抱えていた。
(いいんじゃないの、茶髪でも・・)
ふと周りを見渡す。
小学校では親の意思で茶髪にさせている子がたまにいるが多くは校則にないのでそのまま。
地域の公立高校は指導しきれないのか、自主性に任せているのか、茶髪の生徒が山のようにいた、けれどもみんなが不良かといえば決してそんなことはない。
大学生、社会人も茶髪の人は多い、しかし別に勉強や仕事をいい加減にしているわけでもない。
国を代表するオリンピックのメダリストも子供たちが憧れる
水腫Jリーガーも茶髪や金髪に笑顔でインタビューに答えている。
そんな中で「中学校」の中だけが「校則」で許されない。
毎日、頭髪検査をしたり少しでも髪の赤い生徒を呼び出して注意していると当然ながら生徒との関係が悪くなってくる。
「おはよう!」と笑顔で声をかける前に「髪の毛赤いぞ」と怖い顔で注意しなければならない。
これが何回と続くと生徒は先生を「憎しみ」にも似た目でにらみつけてくる。
頭髪だけ目をつぶれば本当に良好な関係が築けるのに・・それが叶わない。
僕は心の底で「校則」を恨んだ。
それは指導しきれない自分からの「逃げ」だったのかもしれない。
しかしそれでいて
「校則をなくそう」と職員会議で訴える覚悟と勇気も持てなかった。
結果、「義務」と「常識」という鎧で気持ちを覆いながら校則指導を続けているうちに僕は精神を病んでしまったのである。
今でも自分の中で結論は出ていない
spa 香港。
「決まり」を守ることは大切なことだ、そのことに迷いはない。
でも茶髪もピアスもスカート丈の短さも「絶対的な規則違反」ではない。
彼らや彼女らが私服のアメリカンスクールに通っていたならば「普通の生徒」になるのである。
でもその中学校の中では「違反」となり「指導されるべき生徒」となってしまうのだ。
「そんなこと言っても所属する集団の規則を守るのは当然だよ」