外国人から見た日本は、どのように映っているのだろうかと思う事がある。
気まぐれで、"国際交流パーティ" なるものを行なっているのも
そのような興味からかもしれない。
先日行なったパーティで、一人のフランス人が、
「フランスから見ていて日本という国は興味深く映っていた。
その中でも一番魅かれるのは、今の時代よりは、
1970年を前後とする時代だ」
と、呑んだ勢いで声高に語っていた。
たしかに、その当時、70年の一年だけを見ても、
かなり興味深い出来事を挙げることができる。
いわゆる70年安保の年であり、大阪で万国博覧会が開かれ、
よど号事件、三島由紀夫事件など、
大きな出来事が日本国中を覆っていた年だった。
今から思ってみると、たしかに興味深い
分岐の時代だったかもしれない。
私は、その時代、そんな仰々しい事件より、
力石徹(りきいし とおる)の葬儀が営まれた事を挙げてみたい。
葬儀が執り行われたと言っても、力石徹は実在の人物ではなく、
劇画『明日のジョー』の登場人物の一人。
主人公である矢吹 丈の好敵手のボクサーという設定になっている人物。
そんな登場人物の葬儀を行なっている。
「明日のジョー」は1968年から「少年マガジン」に連載され、
かなりの人気を博していた。
力石は、リングでジョーと壮絶な戦いを行ない、
勝利を得たが、試合終了直後リング禍により死亡する。
この号が発売されるや「なぜ力石を死なせたんだ」という非難の電話が殺到し、
それとともに、命日を知らせて欲しいという電話もあり、
対応に苦慮したという。
「天井桟敷」などで知られる 寺山修司の呼びかけで、
発売元だった講談社の講堂で力石徹の葬儀が実際に行なわれた。
それほど関心を集めた作品であったと言う事もできるが、
この虚実をない混ぜにして死を悼む姿は、何とも不思議な世界だ。
こんなものに熱狂できるオタク文化の萌芽が、
この時代にすでにあったと言うべきなのだろうか?
さすがにフランスにはこんなものはないだろう。
亲亲盒盒
夕陽下的守望
傾城之戀